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医療・介護法務

宗教上の輸血拒否と手術拒否

2026年春、宗教上の輸血拒否を理由に手術を断られた患者が病院を提訴した事案が報じられています。応招義務違反は直ちに損害賠償義務になるのか、宗教を理由とする拒否はどこまで認められるのか、争点になる4つのポイントと医療機関が取るべき実務対応を、広島の弁護士が解説します。

宗教上の輸血拒否と手術拒否をどう考えるか

広島で医療法務に力を入れている大元・秋山法律事務所の弁護士が解説

2026年春、宗教上の理由から輸血を受け入れない患者が、手術を断られたとして病院を提訴した事案が複数報じられています。報道によれば、がん手術と眼科手術が問題になっているようです。

いずれも係争中の事件であり、報道だけでは分からない事情が多くあります。部外者である執筆者が新聞報道程度の事情で個別事案を断定的に評価することは適当ではありませんし、そのような能力もありません。本稿では、応招義務・自己決定権・損害論という観点から一般論を中心に整理します。

この記事の要旨

❶ 応招義務違反 ≠ 損害賠償
応招義務は公法上の義務。違反が直ちに私法上の賠償責任になるわけではありません

❷ 「宗教だけで一律拒否」は危険
厚労省2019年通知で正当化されないと整理

❸ 争点は輸血リスクの具体性
当該患者・当該術式での輸血可能性の評価が決定的

❹ 他院で手術できた場合の損害
拒否それ自体で慰謝料が認められるかは別論点

SECTION 01

応招義務違反 = 損害賠償ではありません

医療機関の方とお話していて最も誤解されているのがこの点です。「応招義務違反だ」と言われると、すぐに損害賠償が脳裏を過ってしまうかもしれませんが、法的にはそうではありません。応招義務は医師免許という特別な資格を持つ者がお国に対して負う義務であり、私人が同義務違反を理由に賠償請求を直ちに行うことはできないからです。

応招義務とは

公法上の義務(医師法19条1項)

医師が国家に対して負う公法上の義務であり、患者に対して直接負う私法上の義務ではない──厚生労働省の2019年12月25日通知でも明記されています。

だから

違反 = 賠償責任 ではない

患者が「応招義務違反だから賠償せよ」と主張しても、病院側は義務医違反・保護法益・損害・因果関係を分けて争うことになります。応招義務違反を一段挟んでから民事責任に到達する、という構造です。

💡 重要な判例:千葉地裁昭和61年7月25日判決(判タ634号196頁)などは「応招義務は患者保護の趣旨もあるから、診療拒否で患者に損害を与えれば過失の一応の推定がなされる」としていますが、これは正当事由の反証で覆る推定にすぎません。直接の賠償根拠ではないという理解は重要です。

SECTION 02

「宗教だけを理由に断る」のは
すべきではありません。

応招義務違反が直ちに賠償につながらないとはいえ、「宗教だけ」で門前払いするのは法的にも倫理的にも危険です。それは、不当に特定の人を、特定の宗教観があるから、といったことで差別したことになり、賠償責任が認められる一根拠となってしまいます。応招義務にかかる厚生労働省2019年通知は次のように整理しています。

❌ 正当化されない

宗教属性のみを理由とする拒否

「その宗派の信者には対応していません」というような、宗教属性そのものを理由にした拒否は厚労省通知で明確に否定されています。

⭕ 正当化の余地あり

医療行為そのものが著しく困難

宗教上の理由から診療条件が成立せず、医療行為そのものが著しく困難になる場合は、別途考慮される余地があると整理されています。

同じ「断る」でも、説明が違えば法的評価は変わります

避けるべき不適当な説明

「その宗派の方には対応していません」

望ましい説明

「当院は救命を至上としており、この術式では一定の輸血可能性が否定できず、絶対的無輸血の条件下では当院の安全管理体制では引き受けられません」

輸血という宗教的信念を曲げるくらいなら死を選ぶという患者の思想が認められるのと同様、生命保護を至上の価値と捉え救命に全力を尽くすという医療機関の思想も同様に尊重されるべきものです。これは民間・国公立病院でも変わらないと考えます。問題は、その医療機関の思想をどう説明として外形化するかです。

SECTION 03

争点になる4つのポイント

この種の事件で争点になりやすいポイントを整理します。

1

輸血の可能性は具体的にどの程度あったか

どの手術でも抽象的な輸血可能性はあります。問題は、当該患者の状態と当該術式からみて輸血可能性が現実的にあったかどうかです。出血リスクが高くないと一般的に理解される術式で、事前に輸血同意書も取得していなかった場合、患者側は「ほら、宗教を理由にした拒否でしょう」と主張がなされやすくなります。

2

病院方針はどこまで明確だったか

相対的無輸血を採るのか、絶対的無輸血には対応しないのか。院内方針が文書化され、患者にきちんと説明されていたかが問われます。「方針はあるけれど現場任せ」では、後に宗教観を理由にした診療拒否だったと言われる可能性があります。

3

術後管理を含めたリスク評価

術中だけでなく、術後管理での急変リスクも見逃せません。「当該術式自体の出血リスクは高くないが、術後の合併症で輸血が必要になる可能性がある」「患者の既往症から〇〇のリスクがあり、この場合出血の可能性がある」といった反論です。普段の患者のヘモグロビン値等から輸血が通常の健康体の人よりも必要になる可能性が高い、というのも輸血可能性を高める理由の一つになるでしょう。

4

他院で手術できた場合、損害は何か

報道される事案では、患者が最終的には別の病院で手術を受けていることが伺えます。そうすると、病期の進行等、身体への具体的不具合は生じておらず、必要な手術は受けられているということになり、損害は精神的損害だけということになります──。診療を拒否、こと宗教観のみを理由として診療を拒否したという原告立論が成り立つ際に、精神的損害の評価がどこまで認められるか、これは未だに難しい論点であり興味のある部分です。

SECTION 04

医療機関が今やるべき実務対応

輸血方針の明文化

相対的無輸血か、絶対的無輸血には対応しないのか。緊急時はどうするのか。転院勧奨の位置づけ。これらを文書化します。高度急性期・急性期機能のような、その病院でしか手術が困難、かつ、輸血のリスクが高くない患者を拒否してもよいか、という点は応招義務はもちろんのこと、医療倫理的にも問われるところです。

「医療安全上の条件不一致」として説明

宗教属性ではなく、当該患者・当該術式における安全管理上の条件として説明する。予めのスクリプトを用意しておくと現場も迷いません。最低限フローは備えておくべきであり、インターネット上で公開している病院も多くありますから当院で作成する際に参考すべきところは参考にされたらよいかと思います。

紹介・転院の導線確保

自院で対応できないなら、可能な範囲で他院紹介や情報提供を行います。地方ほど受入先が限られるのが現実ですが、努力した記録は残しておくべきです。

記録を残す

患者の意思表示、病院方針の説明内容、術式のリスク評価、倫理委員会の判断、紹介や転院の提案内容──すべてカルテと別ファイルに残す

CONCLUSION

まとめ

今回報じられている訴訟は、表面的には「宗教を理由に手術を断ったのは違法か」という形をとっています。しかし、法的にはもっと細かく見る必要があります。

応招義務違反が直ちに賠償責任になるわけではありません。

ただし、宗教属性のみで一律に断る運用はすべきではありません。

実際の争点は、輸血リスクの具体性、病院方針の明確性、紹介可能性、保護法益と損害にあります。

特に、他院で無輸血手術が可能だった場合に拒否それ自体でどこまで慰謝料が認められるかは、今後注目すべき論点です。

係争中の個別事件について断定は避けるべきですが、医療機関側も患者側も、応招義務だけで議論せず、自己決定権・安全管理・損害論まで分けて考える必要があります。

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医療倫理委員会への外部委員参加経験を踏まえ、
医療機関の現場感覚に立った助言を心がけています。

大元・秋山法律事務所(広島弁護士会所属)
〒730-0013 広島県広島市中区八丁堀11-10 KSビル8階
TEL: 082-221-2221

※本稿は係争中の個別事案について断定するものではなく、整理した情報提供です。具体的な対応は事案ごとの個別判断が必要です。

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