透析患者さんの暴言や迷惑行為が続き、診療の基礎となる信頼関係が失われている場合には、今後の診療をお断りすることも認められます(医師法19条1項、令和元年12月25日付け厚生労働省医政局長通知)。ただし、透析は中断すれば命に関わりかねない治療であり、発熱や風邪を主訴として来院した患者の受診を拒否するのと同列に考えることはできない類型といえます。そのため、ほかの診療科以上に、注意と警告を重ねた記録を残し、適切なプロセスを経て受診拒否をすることを考えなければなりません。
透析室の看護師や臨床工学技士から「毎回のように怒鳴られる」「穿刺がうまくいかないと、人格を否定するような言葉を浴びせられる」といった声が上がり、院長や事務長が対応に悩んでいる、というご相談をいただくことがあります。血液透析では週に3回、1回4時間ほどを同じ部屋で過ごすため、職員にもほかの患者さんにも逃げ場がありません。それでも「透析をやめたら命にかかわるのだから、何を言われても診続けるしかない」と考え、何年も我慢を重ねている施設は少なくないようです。この記事では、透析患者さんの迷惑行為に医療機関がどう向き合い、どのような手順を踏めば診療をお断りできるのかを整理します。
医療現場の悩みを私が改めて認識した一事例
当事務所がご相談を受けた透析施設では、ある患者さんの言動が長年続いていました。穿刺で痛みがあると「看護師を辞めろ。お前なんかすぐ追い出せるぞ」と怒鳴り、準備が少し遅れると「お前のせいで5分遅くなった。殴るぞ。血栓ができる」とすごむ。担当の看護師を見て「今日は生きて帰れるかな」と聞こえよがしに言い、枕元のボイスレコーダーにその日の担当者の名前を吹き込んでいたこともありました。
職員へのアンケートには、「担当だと思うと動悸がして、穿刺のときに手が震える」「担当が決まると一日何もする気が起きない」「担当した後は体に湿疹が出る」「医療者と患者ではなく、小間使いのような気持ちで対応している」といった声が並びました。
透析患者さんでも、迷惑行為を理由にお断りすることはできます
医師法19条1項は、診療に従事する医師は、正当な事由がなければ診察治療の求めを拒んではならないと定めています。いわゆる応招義務です。厚生労働省の通知(令和元年12月25日付け医政発1225第4号)は、この義務の考え方を整理し直したうえで、患者の迷惑行為について、その態様に照らして診療の基礎となる信頼関係が失われている場合には、新たな診療を行わないことが正当化されると明記しています。例として挙げられているのは、診療内容そのものと関係のないクレームを繰り返し続けることなどです。
透析患者さんだからといって、この考え方が変わるわけではありません。応招義務の全体像は医療機関は患者の受診を断れるのかで、2026年10月1日から始まる職員を守るための措置の義務はカスハラ・ペイハラ対策の義務化で解説しています。ここでは、透析ならではの注意点に絞ってお話しします。
透析ならではの難しさは「緊急性」にあります
通知は、診療しないことが正当化されるかどうかを判断するうえで最も重要な要素を、患者に緊急対応が必要かどうかだとしています。病状が安定している患者であれば、医療機関の体制やほかの医療機関で診てもらえるかどうか、患者との信頼関係なども考慮して、比較的緩やかに判断されます。
維持透析を受けている患者さんは、透析を続けている限り、状態が落ち着いていることが多いでしょう。けれども、次の透析を受けられなければ、数日のうちに命にかかわる状態になりかねません。「今日で終わりです」と突然お断りすれば、行き場のないまま緊急対応が必要な状態に追い込むことにもなります。そのため近隣の透析実施施設、夜間透析をしている施設等をピックアップし、患者さんにリストを手交する準備をしておいてもよいかと思います。
もう一つ気をつけたいのは、その言動が病気の症状から来ている場合です。認知症や精神疾患の影響で暴言が出ているのであれば、まず治療や関わり方の工夫で対応できないかを検討する必要があります。障害を理由とする不当な差別的取扱いは以前から禁じられており、2024年4月からは、民間の医療機関にも合理的配慮の提供が法的義務とされています(障害者差別解消法8条)。精神疾患を理由に透析の導入を断った医師の対応が違法とされ、損害賠償が命じられた裁判例もあります(福岡高裁宮崎支部平成9年9月19日判決)。
お断りの前に踏んでおきたい段階
後から「正当な事由があった」と説明できるかどうかは、それまでの経過をどれだけ具体的に残してきたかで決まります。一度の暴言でいきなりお断りするのではなく、次のような段階を踏むのが基本です(もちろん、当該暴言が犯罪行為に該当するような場合は、当然、一度でお断りする場合もありえます。サンドバッグになる必要などありません)。
- 迷惑行為があった日時、場所、発言や行動の内容を、対応した職員の名前とともに、その日のうちに記録する
- 院長や主治医から、どの行為が問題で、どう改めてほしいのかを具体的に伝え、伝えた日と内容も記録する
- 改善が見られなければ、文書で警告し、続く場合には今後の診療をお断りすることがあると伝える
誓約書は「最後の約束」として使います
警告の段階で、患者さんに誓約書を書いてもらうこともよくあります。誓約書を取ったからといって、それだけで次の違反の際に診療を打ち切れるわけではありません。ただ、禁止する行為を具体的に書き、違反した場合には診療をお断りすることがあると明記しておけば、患者さん自身がそれを理解し約束していたことの証拠になります。「迷惑をかけない」といった抽象的な文言ではなく、「職員に対して大声で怒鳴らない」「身体に触れない」など、実際に起きた行為に即して書くことが大切です。
透析中の暴言や暴力には、組織として対応します
透析の最中は、途中で治療を止めて帰ってもらうことが難しい場面もあります。担当の職員を一人で矢面に立たせず、すぐに管理者が駆けつける体制をあらかじめ決めておきます。暴力や脅迫は、暴行罪(刑法208条)、脅迫罪(同222条)、威力業務妨害罪(同234条)などにあたり得ます。職員やほかの患者さんの安全が脅かされるときは、ためらわずに警察へ通報してください。
お断りするときの伝え方と転院の調整
お断りは、担当医の個人的な判断ではなく、医療機関としての決定であることが伝わる形で行います。院長名の文書に、これまでの経過とお断りの理由、診療を終える日、それまでの透析は続けることを記載します。あわせて、診療情報提供書を用意すること、近隣で透析を受けられる医療機関の情報を渡すことを伝え、患者さんが実際に転院先を探せるようにします。
伝える場面にも配慮が要ります。透析が終わってから別室で、複数の職員が同席して伝え、患者さんが声を荒らげても結論は変わらないことを落ち着いて示します。当事務所が関わった透析患者さんの診療をお断りした事例でも、弁護士が同席して通知書を手渡し、診療情報提供書と近隣の透析施設の一覧を交付しました。ポジショントークの感は否めませんが、やはりお断りの場に弁護士が居てよかったというお声はいただきます。病院が本気だから弁護士を立ててきたという本気度が伝わることもあるのかもしれません。
弁護士に相談するメリット
透析患者さんのお断りは、判断を誤ると、職員を守るつもりが損害賠償の請求を受ける事態にもなりかねません。早い段階で弁護士に相談すると、次のような点で見通しが立ちます。
- これまでの記録や経過で、お断りに正当な事由があると説明できるかを事前に確認できる
- 警告書、誓約書、お断りの通知書を、後の紛争も見据えた内容で整えられる
- お断りを伝える場面に弁護士が同席し、その場で患者さんやご家族の反論に対応できる
- 職員への暴言や暴力について、警察への相談や、立入りを禁じる法的手続も含めて検討できる
よくあるご質問
Q. 誓約書を書いてもらえば、次に違反したときすぐにお断りできますか?
誓約書があるだけで、すぐにお断りできるとは限りません。誓約書は、患者さんが問題となる行為と、その結果を理解していたことを示す大切な証拠になります。実際にお断りするときは、違反の内容を記録したうえで、診療を終える日までの期間を置き、転院先を探せる状態を整える手順を踏むことが必要です。
Q. 転院先がなかなか見つからない場合、診療を続けなければなりませんか?
個別の事情によりますが、医療機関の側で、診療情報提供書を用意し、近隣の透析施設の情報を渡すなど、患者さんが転院先を探せる手立てを尽くしていることが重要です。そのうえでの経過を記録しておけば、いつまでも診療を続けなければならないということにはなりにくいと考えられます。判断に迷うときは、期限を決める前にご相談ください。
Q. 暴言の原因が認知症の場合も、お断りできますか?
病気の症状として出ている言動については、まず治療や関わり方の工夫、ご家族の協力などで対応できないかを検討する必要があります。そうした対応を尽くしても、職員やほかの患者さんの安全が守れない状態が続く場合には、お断りを検討する余地があります。検討の経過も記録に残しておきます。
透析患者さんとのトラブルのご相談は当事務所へ
大元・秋山法律事務所(広島市中区・八丁堀)では、医療機関側の立場で、患者さんやご家族による暴言・迷惑行為への対応や、診療のお断りに関するご相談をお受けしています。まだ注意を始めたばかりの段階でも、すでに何年も我慢を続けてきた段階でも構いません。職員を守りながら、どのような手順で進めるかを一緒に考えます。
